バンド名の由来

私達のバンドの名は、「ペス・デ・トゥンバ(墓の魚)」と申します。


「ペス・デ・トゥンバ」とは、スペイン語「墓の魚」という意味です。


あれ?
そういえば、なぜ、私達のバンド名は「墓の魚」なのでしょう?


実はこれには、ちゃんと理由があるのです〜。






ヨーロッパの古典哲学や、古典芸術には、
よく「墓場」という言葉が登場します。


それは、「墓場」という場所が、
あらゆる人生の終焉の地であり、
人間の繁栄虚しさ皮肉
全てを比喩として表現するのに最適な場所だったので、

哲学的な昔の詩や音楽で、とても愛された題材だったからです。


つまり、「ペス・デ・トゥンバ」の歌詞のテーマである「墓場」の芸術は、
古楽オペラフラメンコラテンなどの音楽から、
ボードレールゲーテシェイクスピア18世紀の墓場派の詩人達などにも愛された普遍のテーマ
だったのですね。


そんなわけで、「墓場」には、
「古い芸術、哲学」
「滅びた古典」
「繁栄に対する皮肉」
などの意味があり、
ようするに「墓場の魚」とは、
墓場(古い芸術)の中を泳ぎ回る者という意味の名前
なのです。


しかし、
この「魚」という部分には、実は、もう一つの意味があります。


それは、キリスト教


西洋精神を語る上で、その根底を担っているキリスト教は、決して切り離せないものです。
現に、私達のバンドの歌詞の端々には、キリスト教的な解釈、意味の言葉や、単語が数多く登場します。
ひねくれて、皮肉ってはいますが、根本的な部分では、神学が根底にあるのです。


さて、そのキリスト教の初期シンボルが、実は「魚」であったのです


そう、つまり「墓場の魚」には、なんというか、
「ひねくれた神学」のような意味もあるのですね〜。


あっ、別にだからといって、キリスト教信者じゃないと楽しめない音楽とか、そういうわけじゃありません(笑)


オペラや、フランスの十九世紀文学と同じです。
あれらの根底にもキリスト教がありますが、別に信者じゃない者でも、それは十分に異国文化として楽しめるのです♪


というわけで、本日は、「ペス・デ・トゥンバ(墓の魚)」の名前の由来でした〜。



「ペス・デ・トゥンバ(墓の魚)」公式サイト
http://www.h7.dion.ne.jp/~witch666/majorin/tumba.html

坊主とは?

詩に「坊主」って単語を使う時は、迷います。


坊主って、仏教の僧のイメージじゃないですか。


そして、実際、それを指している言葉なんですけれど、
古典西洋文学の和訳、
または古いクラシック歌詞の和訳などでは、
神父の事も「坊主」と表現する事があるのです。


特に、生臭坊主などの、堕落神父などを蔑称を込めて表現する時などに
「坊主の祈りじゃ、救われねぇ」
みたいな感じで使われます。


でも、実際、使ってみると、やっぱり、仏教色が強いんですよね〜。


うーむ。

コンメディア・デッラルテと墓の魚

コンメディア・デッラルテって、知ってますか?
十六世紀イタリアで盛んだった道化芝居の一種です。


このコンメディア・デッラルテ、
どんな劇でも、登場するのは、毎回、同じキャラクター(道化師)達で、
個性豊かな道化師達が、即興的な演劇を繰り広げるという素敵な古典芸能なのです。


スペインのコメディアなど、様々な道化芝居の元となった芝居でもあり、
恐らくはイギリスのシェイクスピアなどの道化芝居にも、大きな意味では影響を与えているではないかと思います。


日本で有名な道化師「ピエロ」も、もともとは、コメディア・デッラルテのキャラクターの一人なんですよ。

今の日本では、イタリアの仮面劇と言うと、なぜか(笑)美形の男女が登場する耽美な世界を思い描く方が多いみたいですが、
元来の道化芝居というのは、陽気で、ちょっと下品で、俗的で、皮肉ユーモアにあふれた、
まさに南ヨーロッパラテン)的な素晴らしい文化
だったわけです(笑)(まさにメルド!!というやつじゃあございませんか♪)。


道化師は、現代ではパフォーマーとして発展しているので、
例えばイベントで風船を配ったり、パーティーに呼ばれて芸を披露したりする、いわゆるクラウンがほとんどになりつつありますが、
元々は演劇に登場する役者的な存在でもあったのですね〜。


さて、しかし、こうした舞台の上の道化師達は、
現代の世の中に合わなかったのか、姿を消してしまいました。
その後継である「お笑い芸人達」も、かつての道化師のような社会風刺などは、基本、行いませんね。


「皮肉」というものを、現代の日本人が好まないというのも、
道化芝居が衰退した要因の一つだったのかもしれません。


私のように、陽気な皮肉、社会風刺が大好きな人は、
現代では、フランス文学とか、スペイン文学とか、シェイクスピアとか、あるいはさよなら絶望先生を読むしかないのです(笑)


さて、私達のバンド「ペス・デ・トゥンバ(墓の魚)」は、
そんな現代において、ラテンの皮肉ユーモアを舞台で表現し、
道化役者の闊歩する舞台を作り上げる日本唯一のラテンバンドです。


バンド「墓の魚」公式サイト
http://www.h7.dion.ne.jp/~witch666/majorin/index100.html


そして、私達はシャンソン・フュネライユ(葬送の歌)」というオリジナルラテン音楽を演奏する日本唯一のバンドでもあります♪


シャンソン・フュネライユ」とは、つまりフランス語で「葬送の歌」


人生を一つの葬儀に例え、ユーモラスな歌詞を歌う陽気なラテン音楽です。






「人生とは、壮大な葬儀なのだ。
一生をかけ、墓場に向かって歩いて行く。
時には陽気に寄り道しながら♪」



ちょっと、現代では、他では見る事のできないバンドだと思います♪
4月1日のライブもぜひ、遊びに来てくださいね〜。


ライブ詳細
http://d.hatena.ne.jp/witch-neko/20120208

4月ライブ決まりました♪

2012年4月1日(日)の夜吉祥寺のイタリアレストランの地下ホールで、私達「ペス・デ・トゥンバ(墓の魚)」のライブが決定いたしました♪


今回はなんとチェンバロが登場します♪


シャンソン・フュネライユ(葬送の歌)」の独特な編曲と、
フランス風なボーカル、
そして道化芝居チェンバロの共演です♪
ぜひ、遊びに来てくださいね〜。


バンド「墓の魚」公式サイト
http://www.h7.dion.ne.jp/~witch666/majorin/index100.html


いつも言っているとおり、
古いフランスのモンマルトル劇場では、
オペラ、シャンソン、道化師、芝居、オーケストラなど、様々なジャンルの生演奏の出し物が、日々、催されていたそうです。


そういった古き良き時代のショーを、現在で再び再現してしまうのが、私達のバンドなのです♪


そして、私達は、シャンソン・フュネライユ」というオリジナルのラテン音楽を演奏する日本唯一のバンドでもあります♪


シャンソン・フュネライユ」とは、つまりフランス語で「葬送の歌」


葬式って・・・
不吉な感じがしますか?(笑)


いいえ、そこはラテン音楽
陽気なんです♪


シャンソン・フュネライユ(葬送の歌)」は、「陽気な葬儀」をテーマに、
キリスト教的な厳粛なもの不吉なもの哲学的なものを、
ライトに、可愛らしく歌ってしまう特殊なラテン音楽


ラテン圏には、陽気に「人生の皮肉」を楽しむという文化があります。


「人生とは、壮大な葬儀なのだ。
一生をかけ、墓場に向かって歩いて行く。
時には陽気に寄り道しながら♪」


人間が誰でも最後は行く事になる「墓場」という場所をテーマに、生の哲学的なユーモアを歌う音楽
それがシャンソン・フュネライユ(葬儀の歌)」なのです。


つまり、人生の「皮肉」を歌う音楽です♪(笑)


今回のライブは、同日、他公演で出演できないレギュラー歌手「喪服のクリス」の代わりに、ゲストとして、歌う道化役者「仕立て屋のオチ」が参加いたします♪


他にも、可愛いフランスシャンソンを歌う「メルド(糞)のコ・テンコー」
ボロボロのタキシードを着込み、墓場の歌を歌う道化役者「戯けの黒猫」
などの個性派ぞろいのジャンルの違う二人の歌手が登場。


大げさな身振り、
演技を交えた喋るような歌、
道化役者、そして歌手、
十九世紀フランス文学的な風刺、皮肉、
神学、ユーモアに富んだ歌詞。


「葬儀」こそがある意味、
清濁を超越した人間の人生というものを表していると思いませんか?


「そして最後に残るのは静寂のみ ・・・」


そんな皮肉で、だけれど、カラっと明るいいたずらなラテン哲学で、私達は、フラメンコ、アルゼンチンタンゴシャンソン、ファド、オペラ、JAZZミュージカルを歌います。


しかも、それらは全て生楽器による生演奏!!


さぁ、偉大なる先生方!!
御立会い!!
魔女や、ジプシー女、フランス女に、道化役者、
詐欺師に、オーケストラバンド・・・


そんな不思議なシャンソン・フュネライユ(葬送の歌)」の一夜はいかがでしょう?


●「男も女も哀れな役者」


[日にち]2012年4月1日(日)夜
[場所]吉祥寺/地下ホールラ・フォルテ
http://www.laforte.jp/
東京都 三鷹市 下連雀1-17-4
TEL0422-79-7307


開場18時30分
開演19時00分


[チケット料金]
1000円


[(ペス・デ・トゥンバの)演奏メンバー]


道化師/演出家/リュート/戯けの黒実 音子(クロネコ)
フランス風女性ボーカル/メルド(糞)のCo・テンコー
ピアノ/チェンバロ/ドン・ベズーゴ
フラメンコギター/島田[ロイド]賢
ポルトガルギター/マカフェリギター/下 桂馬
アコーディオン/卓上ピアノ/卓上オルガン/エジリーナ
バリトンサックス/丸山 カズー
アルトサックス/Aya
バイオリン/予定
ウッドベース/荻堂 洋一(yoitch)


◎ゲスト
スペイン風女性ボーカル/仕立て屋のオチ
その他


皆様のご来場、
ぜひ、ぜひ、お待ちしております〜。

絵の中の小道具

毒薬調合は、「埋葬画」の魔女のイラストの中でも、描いていて楽しいテーマの一つです。


演劇に小道具があるように、
絵の中にも小道具ってありますよね。


例えば、そもそも昔から、絵画の中で、魔女の机の上に描かれてるものなんて、ある程度、決まっているものなのです。


つまり、置かれている生ものは大抵、毒植物や、毒生物
すなわち、トリカブトベラドンナ、スベスベマンジュウガ二の一種、イモリ、ハリネズミカブトガニ(ハリネズミカブトガニは、古い絵には描かれませんけどね)。


または、毒はなくても、そのモノ自体が魔術的効果を持っているもの。
猫の頭、トカゲの尻尾、洗礼を受けていない赤子の死体、女性の尿。


または哲学的な象徴を持ったアイテム
髑髏、砂時計、財宝ですね。
(髑髏と、砂時計は、人間の時間の象徴で、
「どんな栄華にも、時間の向こうには、
いずれは死が待ち構えていて、全てを無に帰す」
などの意味があるのです)


左の「埋葬画」の小道具にも、意味があります。
「こぼした塩」は、スペインの迷信で不吉の象徴
「カーテンの陰からのぞく道化」は、虚栄の象徴です。









下の作品の「太陽と魚」は、キリスト教異教
「杖」は、その者の権威知恵の象徴を表します。


ただの小道具に見えても、それぞれのアイテムに、結構、いろんな意味が隠されているものなので
そんな見方をしてもらえると、より、「埋葬画」を、楽しんでいただけるのではないかと思います〜♪


黒実 音子の「埋葬画」サイト
http://www.h7.dion.ne.jp/~witch666/majorin/

なぜ、埋葬画なのか

私は、様々な魔女を描いてきた自分のイラストを「埋葬画」と呼んでいます。


「埋葬画」という名前になった理由はいろいろですが、
「死」を描くことで、「生」を表現するような作品が多いから、というのが一番の理由でしょうかね。


また、音楽でもそうなのですが、私は「葬儀」というものに、特殊な愛着というか、哲学を感じております。


それはつまり、
「どんな人生も、死ねばおんなじ土の中。
豊かな者も、貧しき者も、
幸福な者も、不幸な者も。」

という哲学です。


だって、そう考えると、なんて人生って面白い!!
そんなでもでもない、「世界の喜怒哀楽」
すなわち、コメディア(喜劇)を私は描いていきたいのです。


さてさて「埋葬画」というのは、
古めかしく感じるようなタッチの技法で作った作品を、私が総じてよんでいるものです。
まるで、中世ヨーロッパの装飾写本のように描いた作品ですね。


これらは、大きく分けて三つの種類があります。


一つは神学的なもの、
もう一つはカントリー調のもの、
そして近代フランス調のものです。








神学的な「埋葬画」というのは、
キリスト教に対するパロだったり、
あるいは、キリスト教的な視点から見た異教徒を描いたもので、
時代は中世ヨーロッパを描いたものが多いです。
古いキリスト教的な視点で描いているので、ヘビやムカデをはべらすような邪悪な魔女が多く描かれます。










カントリー調の「埋葬画」は、
時代は同じく中世ヨーロッパを描いているものが多いのですが、
テーマは大きく変わり、南フランスや、南イタリアなどの、「田舎の暮らし」に視点が置かれています。
その為、のどかで可愛らしいものが多くなります。












最後の近代フランス調の「埋葬画」は、やや特殊で、
時代も近代が描かれ、「フランス的女性ファッション」が主なテーマになっています。
その為、魔女ではあるのですが、あまりそのような描写は見受けられません。


強いて言うのなら、フランス的ユーモアエスプリ」を表現して、が背景に描かれる事が多いです。








ちなみに、牧歌的なカントリー調の私の作品などを観た方が、
私の神学的、つまり、「墓場より」な(笑)作品を観ると、
「同じ人が描いたとは思えない・・・」
とおっしゃられる事があります(笑)


でも、描いた本人は、そういった作品を、頭ではあまり分けていないんですよね(汗)


だって、墓場にある物も、
のどかな木の家の中にある物も、
実は同じものじゃないですか。

そう大差はないものなのです。


そう、つまりは、やっぱり「ヴァニタス」です。


人生には、影も光もある。
しかし、全ては虚しい。
虚栄である。
いずれ消え行くものである。
我々はあわれな役者だ。


でも、だからこそ私達は、あがき、この世を楽しむのだ。


ねぇ、


だってこの世は、
そんなもんじゃありませんか。





黒実 音子の「埋葬画」サイト
http://www.h7.dion.ne.jp/~witch666/majorin/

ゾンビ

ゾンビ映画、好きです。
怖いから好き・・・という方もおりますが、私はそうじゃなくて、ロマンがあるからです。


死体が生き返る・・・
だけれど、それは生前の面影を残しながらも、全く、違うモノになり果てた禁忌のものなのです。


この世では、失ったものは、二度と同じような形で戻ってくる事はない。


なんとなく、そういった哲学を感じますよね。
ゾンビには。


昔から、人は、数えきれない位、愛する人の蘇りを望んだのではないでしょうか?
しかし、それは決して可能ではなかった。
そうした想いが、ゾンビという不可能な現象「蘇り」を無理矢理、実現してしまった結果の、業罰的な悲しい魔物の誕生に関わっているのだと思います。


持論ですが、妖怪であろうと、魔物であろうと、多かれ少なかれ、異形の者の誕生には、何らかの人間の「後ろめたさ」「罪の意識」が関わっているのだと私は思っています。
東北の「間引き」の文化が、座敷童を産んだように。


例えば、吸血鬼は、吸血鬼になった者の、生前の人格の罪罰的な意味を強く持っている死体だと思うのですよ。
キリスト教に破門された者、洗礼を受けられなかった者がなるのですから。
吸血鬼になる事自体が、その者の背負った罪なのです。


でも、ゾンビは、大抵、ゾンビ本人に全く意識、人格が無いので「苦」というものが、基本ないですよね。
「苦」を感じるのは、むしろゾンビではない者達。
つまり、ゾンビという魔物は、蘇り」を望んでしまった者達にとっての「罪」の魔物なのです。


まぁ、もともとは、ゾンビって、ハイチのブゥードゥー教の秘術で、麻薬を使って作られた廃人奴隷なんですけどね〜。