ゾンビ

ゾンビ映画、好きです。
怖いから好き・・・という方もおりますが、私はそうじゃなくて、ロマンがあるからです。


死体が生き返る・・・
だけれど、それは生前の面影を残しながらも、全く、違うモノになり果てた禁忌のものなのです。


この世では、失ったものは、二度と同じような形で戻ってくる事はない。


なんとなく、そういった哲学を感じますよね。
ゾンビには。


昔から、人は、数えきれない位、愛する人の蘇りを望んだのではないでしょうか?
しかし、それは決して可能ではなかった。
そうした想いが、ゾンビという不可能な現象「蘇り」を無理矢理、実現してしまった結果の、業罰的な悲しい魔物の誕生に関わっているのだと思います。


持論ですが、妖怪であろうと、魔物であろうと、多かれ少なかれ、異形の者の誕生には、何らかの人間の「後ろめたさ」「罪の意識」が関わっているのだと私は思っています。
東北の「間引き」の文化が、座敷童を産んだように。


例えば、吸血鬼は、吸血鬼になった者の、生前の人格の罪罰的な意味を強く持っている死体だと思うのですよ。
キリスト教に破門された者、洗礼を受けられなかった者がなるのですから。
吸血鬼になる事自体が、その者の背負った罪なのです。


でも、ゾンビは、大抵、ゾンビ本人に全く意識、人格が無いので「苦」というものが、基本ないですよね。
「苦」を感じるのは、むしろゾンビではない者達。
つまり、ゾンビという魔物は、蘇り」を望んでしまった者達にとっての「罪」の魔物なのです。


まぁ、もともとは、ゾンビって、ハイチのブゥードゥー教の秘術で、麻薬を使って作られた廃人奴隷なんですけどね〜。