正装で遊びましょ♪

クラシックが近寄りがたいというイメージを崩す為に、クラシック奏者がカジュアルな服で演奏したりする演出は、最近よくありますが、個人的には好みじゃないんですよねー。


それはそれでいいと思いますし、否定もしませんし、それなりの効果もあるのだと思うのですが。


なんでも軽くすればいいってものじゃないと思うのです。


正装の美学というか、楽しさというものもあるじゃないですか。


ある種の芸術は、お固いわけじゃくなくて、上品で厳粛な空気を楽しむものだと思うのです。
私は、例えばクラシックなどを広める為に、クラシックをカジュアルにするのではなくて、むしろ、人々がタキシードに慣れればいいのにと思っています。


金持ちになれ・・・と言ってるんじゃないのです。
クラシックのチケット代が高い方が、むしろ私は問題だと思っています(笑)


もっと気軽に、身近に、フォーマルな気分が楽しめたらなぁ、と思うのです。
そんなに難しいものじゃないんですよー。


服を変えると気分も変わります♪
落ち込んでいる時などは、素敵な服を着て元気が出ることだってあります♪


正装を着ると、それはそれで、厳粛な気分になって、神聖というか、シュッとした気持ちになりますよ♪


カジュアルな服も、フォーマルな服も、時々に、場所によって、もっと気軽に楽しめたらいいと思うのですよねー。


厳粛を味わう・・・・
厳粛を楽しむ・・・・
私の作品や、バンド活動が、そういった文化に少しでも貢献できればいいなー
と思っております♪





ちなみに私は、中学生の頃から、葬儀や、オペラなどの厳粛で神聖な空気が好きな子供でした。


人間はいつか死ぬ。
でも、それはとても神聖な儀式であり、自然な事。
早い死も、老いた死も、また必然なのです。


そんな事を、ああいった空間は、教えてくれる気がしたのです。


そして、そう思うと、どんな辛い事も、逆境も、たいした事ないように見えて、乗り越えられたんですよねー。


魔術用語で言うと、それが私の魔術的力の源だったのです。





今でも、私はスーツを着こんで、こんな事を考えます。




私はピカロ(悪党)かもしれない。
ろくでなしかもしれない。
でも、まぁ、いいじゃないですか。


ピカロ(悪党)も、善人も
アガペ(愛)も、偽善も、
本当は大差はないのです。


やがて全ては笑い話。
町娘の談笑の種。
生まれてくるように自然に、やがて全てに死が訪れ、
いずれは、失くなって、
ああ、やっぱりそうだったんだー。って事になるのです。


それは、厳粛で、神聖で、
それでもって、
とっても気軽な事なんだと思うんですよねー。





ああ、
私は、厳粛を着込んでいるのだ。
そして、その瞬間こそが、
私にはもっとも落ち着くひとときなのだ。


葬儀の曲が聴こえるから・・・


レクイエムを歌う聖歌隊は、
悲痛、別れを歌い
それは一見、単調な調べだが、
同時に対位法の技法で、
もう一つの主題を語っている、と私は思う。


もっと清濁巻き込んで、
気軽に遊びましょう。
下卑た言葉から、神聖な言葉まで、
全てはあなたのお気に召すまま。
だって、この世は、あなたの気分次第なのだから・・・

と。



そう、それは祝福。
神聖で厳粛な祝福なのです♪