立派じゃなくて結構です

よく考えるんだけれど、
真面目に将来の事を考えて、
老後の為に無駄遣いせず貯金して、
嫌な仕事でもがまんして、
ストレスをためて、ストレスをためて、それでもしっかりした人、立派な人として生きていた人は、早死にしてしまったら、楽しまなかった分のツケは誰が支払ってくれるのでしょうか?


パッパラパーで、やりたい事をやって、
働いても、旅行とか、夢とかに貯金を使い、
おいしいもの食べて、
野心と夢の為だけに突き進む私は、どう見ても世の中的には立派な人じゃない(笑)
老後とかが大変だぞ、とよく言われる。


でも、思う。
老後の為に貯金して生きて、早死にしてしまう人と、
刹那主義で生きて、やがて老後に大変な人。
どちらが不幸なんだろう?


そう。
そもそも、不幸とか、幸福で、人生は測れるものではないと私は思う。
ましてや、立派とか、立派じゃないとか、そんなもので、人の価値は測れるものじゃない。


短命な貯蓄家だろうと、
長寿な刹那主義者だろうと、
大切なのは、自分の選んだ道が、どんな場所に続いていようと、どんな結果に辿り着こうと、自分の選んだ道に言い訳をしない事。
どんな結果であれ、それが自分の選んだ道なんだもの。
そこに誇りを持って、運命を受け入れればいい。


だからいいじゃないかと思うのです。


選んだ道は何であれ。
重要なのは道じゃなくて、その道を進む人間。つまり自分なんだからね。


だから、人に「立派になれ」なんて、私は言わないのです。


己の魂の誇りの為に、答えなきこの世界を誰もがそれそれに生きるがいいのです。