余命いくばくも無い人間だけが

「余命いくばくも無い人間だけが、
なぜ刹那的に生きる事を許されるのか?」


とある作品の、私の好きな台詞です。


全く同感です。


別に、病気でなくたって、
人はいつ事故で死ぬかわからないし、
人生は一寸先の事なんて、何があるかわからないでしょ。


また、長生きする事が偉いわけでも、
長生きした者がみんな幸せとも限らない。
早死にしたって、幸せな者もいる。


先の事を考えて、貯金して、真面目に生きれば
幸せになれるとは限らないし、
その逆の事をしたって、同じく幸せになれるとは限らないわねぇ。

何が幸せかなんて、死ぬまでわからない。
というか、死んでもわからない。


結局、みんな、だーれも、そんな事はわからないのに、
なぜ、人は「こう生きるのがまともな生き方だ」
というマニュアルを作りたがるのかねぇ?
なぜ、他人の生き方に「罪」だとか、「正邪」を
つけたがるのかねぇ?
その「正」の道を歩めば、幸せを誰か保証してくれるのかえ?


だーれも保証なんてしてくれないのに。
なんで、そんなに真剣にまっとうに生きようとするのかねぇ?
時として自殺してまで。


すごく立派な進路を行って、
立派な性格していた人が自殺するのに、
なぜ、みんなは立派じゃなくても、
ちゃんと生きている人を否定するのかね?


まさか、死後の世界に頼ってるの?


すごく立派な進路を行って、
立派な性格していた人が自殺するのなら、
あたいは、すごく立派じゃない進路を行って、
どうしようも無い性格を持って、
最後まで生きて、人生を楽しんでやろう。


だって、あたいは道化だから。
男の群れの中にいる一人の女と同じ。
男は社会で生かされるが、
女は社会を利用して生きる。


そして、道化はそれを笑いながら生きる♪
しししし。


ちなみに、とある作品とはこれです。

スカタン天国(パラダイス) (Vol.1) (アフタヌーンKC (1083))

スカタン天国(パラダイス) (Vol.1) (アフタヌーンKC (1083))


今日のスペイン語 意味 説明
ドゥクエラス 苦しみ、不幸 スペイン・ジプシー語です